無線を使ってデータをやりとりするためには、デジタル信号を電波に乗せなくてはいけない。オーソドックスなやり方は、電波の振幅や周波数、位相、あるいはこれらの組み合わせを使って、デジタルの「1・0」信号を表わす。これが、いわゆる変調というヤツだ。無線LANの変調も、基本的にはこれら3つのパラメータを使用しているのだが、送信する段階でグイッと一発捻りを利かせた高度な技術を用いている。今週はそのひとつ、802.11や802.11bに使われているスペクトル拡散を解明したい。
振幅、周波数、位相、これら3要素を使う基本的なデジタル変調に関しては、「通信の基礎知識(3)~デジタル変調の世界」でお話した。3つのパラメータをそれぞれストレートに変化させたのが、振幅のASK(Amplitude Shift Keying)、周波数のFSK(Frequency Shift Keying)、位相のPSK(Phase Shift Keying)である。さらに、振幅と位相の重ね技であるQAM(Quadrature Amplitude Modulation)というのもあり、とくに高速伝送には欠かせない変調方式となっている。802.11や802.11bに使われているスペクトル拡散(Spread Spectrum)は、いったいどんな捻りを加えているのだろうか。2.4GHz帯で最大2Mbpsの転送速度を実現する802.11では、物理層に2種類のスペクトル拡散方式を規定した。まずはそのひとつ、周波数ホッピング方式のスペクトル拡散「FHSS」から見てみよう。
■
FHSS(Frequency Hopping Spectrum Spread)
スペクトル拡散というのは、エネルギーを広い周波数帯域に拡散するという意味で、FHSSはそのために、周波数ホッピングという方法を使用する。読んで字のごとく、キャリアの中心周波数がぴょんぴょん飛び回るのがこの方式である。
もう少し詳しくいうと、1MbpsではGFSK(Gaussian Frequency Shift Keying)、2Mbpsでは4値のGFSKという変調方式を使ってデジタル信号を変調する。GFSKは、「1・0」を周波数の違いで表わすFSKの仲間で、もとのデジタル信号をガウスフィルタにかけ、帯域制限を行なってからFSKで変調したものだ。2値なら1回の変調で1bit乗るので、1Mのシンボルレートで1Mbps。2bit乗る4GFSKなら2Mbpsのビットレートになる。基本的には、これがそのまま送信されるわけだが、FHSSは、送信しながら次々に中心周波数を切り換えていくというオマケが付く。具体的には、2.4GHz帯を1MHzずつのチャンネルに分け、このチャンネルを224μ秒間隔で次々に切り換えていくのだ。
チャンネル数は、国内で最初に利用できた2,471~2,497MHzが23、後に追加された2,400~2,483.5MHz帯が79(両者は一部が重複している)あり、これらチャンネル間を、あらかじめ決められた一定のシーケンス(それぞれ3パターン規定されている)にしたがって、毎秒4500回弱のスピードで渡り歩くわけだ。これだけ聞くと、なんだかすごいムダなことをやっているような気がするかもしれない。1カ所に留まっていれば1MHzの帯域を消費するだけですむものを、あたり一面に撒き散らしているのだから、実際何事もなければ単なる周波数のムダ使いになってしまう。ところがこの、「何事」がしょっちゅう起こってしまうのが、いろいろな用途に使われている2.4GHz帯の電波の世界なのだ。
テレビなどは、ひとつのチャンネルでずっと同じ局が放送を行なっている。同じエリア内の同じチャンネルで、別の局が放送したりすることはないので、基本的にこのやり方で混信が起こらない。が、海賊放送局が出現したらどうなるだろう。海賊局とまではいかなくても、特定のチャンネルにノイズが混入するなどの障害が起こる可能性は十分ある。こうなると、もう放送はグシャグシャ。固定チャンネルの場合には、原因をもとから断たない限り、立ち直ることができなくなってしまう。2.4GHz帯は一定の条件を満たせば誰でも自由に利用でき、無線LAN以外にもいろいろな用途に使われている。この辺を覚悟して臨まなければいけない周波数帯なのだ。そこで、障害があっても回避できるように、次々にチャンネルを切り換えていく仕組を採り入れた。チャンネルを切り換えていく過程では、グシャグシャなチャンネルに突っ込んでしまうこともあるが、そうなったとしても、次のホップですぐに立ち直ることができる。悪条件下でも、通信不能という最悪の事態だけは極力避けようというのである。
|
周波数ホッピングと直接拡散方式 |
|
■
DSSS(Direct Sequence Spread Spectrum)
802.11に採用されたもうひとつのスペクトル拡散は、直接拡散方式と呼ばれる「DSSS」である。こちらは、ベースとなる変調方式にDBPSK(Differential Binary Phase Shift Keying)とDQPSK(Differential Quaternary Phase Shift Keying)という、信号を位相の違いで表わすPSK系の変調方式が使われている。頭の「D」は、絶対位相ではなく先行する位相に対する相対的な位相差を採ることを表わしており、BPSKは180度異なる2種類の位相差を使って1bit乗せるタイプ。QPSKは90度ずつ異なる4種類の位相差を使い、2bitずつ乗せていくタイプだ。FHSS同様、1MHzのシンボルレートで変調していくと、それぞれ1Mbps、2Mbpsの通信速度が得られる。
DSSSのオマケはというと、送信の段でこれを1回、もっと速いスピードで変調してしまう。変調速度が上がると、それに応じて周波数帯域が広がってしまうのだが、まさにこれをそのまま実行し、使用する帯域を直接広げてしまうのだ。具体的には、11bitの特殊なパターンを1MHzで反復させた、すなわち11Mbpsの信号を掛け合せて拡散する。特殊なパターンは、それ自体はエネルギーを拡散させるためのランダム性を持った値になっており、これを繰り返すことによって、ランダム性と周期性を持った変調がかかる。この符号を拡散符号あるいは擬似雑音(Pseudo Noise[PN])符号といい、拡散符号のビットのことをチップ、拡散変調の変調速度をチップレートという。ちなみに、1Mのシンボルレートで変調したものを11Mのチップレートで拡散すると、周波数帯域は「チップレート÷ボーレート」分の11倍に広がる(実際の回路では、もとのデジタル信号に拡散符号を掛け合わせて擬似雑音化したものを、DBPSKやDQPSK変調しているが結果は同じ)。なぜわざわざ撒き散らすのかはFHSSと同様。DSSSは帯域の一部に多少の妨害があっても、もとの信号をかなりのところまで忠実に復調できる優れた変調方式なのである。
■
スペクトル拡散のもうひとつの効用
これらスペクトル拡散は、干渉に強いと同時に秘匿性に優れているという、もうひとつの大きな特徴がある。周波数が高速に切り換わるFHSSでは、ホッピングのシーケンスやタイミングがわからなければ受信しようにも追従できないし、DSSSは電波自体がノイズのような性質を持っており、拡散符号がわからなければもとの信号を取り出すことができない。無線LANの場合は、これらも含めて標準化し仕様を公開しているので、秘匿性は何もないが、たとえば拡散符号をちょっといじれば、ほかの機器では傍受できないスペシャル仕様に変身する。
干渉に強く、符号が一致した信号だけを抽出できるというこの性質を積極的に応用したのが、cdmaOneやFOMAなどに採用されている、符号を変えて多重化するCDMA(Code Division Multiple Access)という方式である。身近なところでは、カーナビなどでおなじみのGPS(Global Positioning System)もこの方式。GPSは、6つの起動上を回る各3個(+1個以上の予備)の衛星で構成されており、衛星から送信される軌道と時刻の情報を受信し、三角測量の要領で受信点の経緯度や高度を割り出す。GPSの各衛星は、すべて1575.42MHz(中心周波数)の同じチャンネルを使用しており、それぞれが異なる拡散符号で送信。ひとつのチャンネルを受信して逆拡散のふるいにかければ、個別の情報が取り出せるという仕掛けになっている。ちなみに衛星からは、一般に公開されている符号とは別に米軍専用の非公開の符号でも送信されており、以前は一般用の情報に故意に誤差を付加して精度を落としていた。
■
802.11bのDSSS
802.11のDSSSを拡張し、5.5Mbpsと11Mbpsの高速転送モードを加えたのが、現在主流の802.11bである。やっていることは802.11と同じ「DQPSK+拡散符号」の世界で、シンボルレートを1.375MHzにアップしている。これだけだと「2bit×1.375MHz=2.75Mbps」のスピードしか出ない計算だが、ここでさらにもうひと工夫を凝らしたのが、802.11bの標準方式であるCCK(Complementary Code Keying)と呼ばれる変調方式である。このCCK、使えるものは何でも使おうとばかりに、拡散符号を拝借して不足分を補ってしまうのだ。
CCKの拡散符号は8チップの繰り返しになっており、5.5Mbpsモードでは、4つの状態を表わせる拡散符号を用意し、2bit分を補って1シンボル4bitで送信。同様に、11Mbpsモードでは6bit分を補い、1シンボル8bitで送信を行なう。もちろんこんなことをすれば、スペクトラム拡散によって得られるはずのノイズ耐性を大幅に損なうことになるのだが、使用帯域をまったく広げることなく、802.11+αのシステムで高速化が実現できるのである。
このCCKは、802.11bの2大チップベンダとして知られるLucent TechnologiesとHarris Semiconductor(現在はIntersil Corporationに社名変更)が共同で提案した方式だが、802.11bにはこのほかにもうひとつ、Alantro Communications(現在はTexas Instrumentsに買収)が提案したPBCC(Packet Binary Convolutional Code)という変調方式もオプションとして採用されている。こちらもCKKと同様の横流し手法で高速化を図る方式だが、符号化に工夫を凝らしており、より堅牢なコードを生成するのが大きな特徴。CCKよりもノイズに強いので、同じ環境ならCKKの倍のビットレートで、同じビットレートならCCKよりも3割遠くと通信できるといわれている。具体的には、1次変調のQPSKと64値のBCC符号を使い、5.5Mbpsは1シンボル1/2bitで、11Mbpsは1シンボル1bitを送信する。TIでは、このPBCCをさらに拡張し、8PSK(8値のPSK)とより堅牢な256値のBCCを使って2bit/シンボルの伝送を行なう22Mbpsの高速転送モードも提案。すでに同社のチップセットに組み込まれており、2001末にはメルコから対応製品のリリースがアナウンスされている。既存の802.11b製品とは従来どおりの最大11Mbpsで通信でき、対応製品なら最大22Mbpsのモードも利用できるというオマケ付き無線LANなのだが、「条件がよければより高速になりますよ」というのではなく、「CCKで11Mbpsが通るなら22Mbpsでいけちゃいますよ」といえるのがPBCCの偉いところである。ちなみにこのPBCC-22は、策定中の802.11gのオプションとして採用される予定になっており、ドラフトの規格書には33MbpsのPBCC-33もあったりする。
さて、そんな802.11gの標準変調方式であり、すでに製品の出荷が始まっている802.11aの変調方式となっているのがOFDM(Orthogonal Frequency Divison Multiplex)なのだが、こちらは次回のお楽しみとしよう。
(2002/02/01)
|